星空

 

 

あいつとは、たった数日同じ夜を生きた。ただ、それだけだ。

世界に溶けこんだあいつと会うことはもう二度とないのだろう。そう改めて考えると体が内側から軋んだ。
初めて味わうこの心がぽっかりした感触。これは、もしや空虚感と言うものなのか。
「・・・嘘だろ」
信じらんねぇ。
あいつのことはひたすら純粋な怒りと、そして後は同情。それ以外の感情なんて持っていないはずだった。
きっとあの時あいつの手を取ったことは、気の迷いだったんだ。
そうあの夜から自分に言い聞かせて、もう何度目だろう。
いつまで経っても消えないこの違和感を、いい加減に捨ててしまいたかった。
あいつはオレの心に棘を残していった。ただそれだけが、許せなくて。
きっと、こんなにもあいつに会いたいだなんて思うのは、そのせいだ。


「呼んだかい?」
ふわりと背後から風が吹き抜けた。
頭の奥まで凛と響くのは。一番聞きたかった声で、一番忘れたい声だった。
「・・・・・別に、呼んでねぇし」
ホロホロは振り向かなかった。振り向いたら何かが壊れるような気がしていた。
振り向いたら、何かが始まってしまうような期待が全身を巡った。
だからそれを阻止する為に、握った拳を震わせて俯いた。
「そう?確かに君の声が聞こえたんだけど」
早く消えろ。早く。
でないと壊れてしまう。今にも溢れ出しそうな感情の奔流を、かろうじて塞き止めている堤防が。
早く消えてくれ。こんな思いと一緒に、跡形もなく。
「あいにくお前を呼んだ覚えは一度たりともねぇ」
「へぇ、つれない事を言うもんだ」
もうお前の世界は終わったんだろう?オレはお前のいない世界で生きていくと決めたんだ。北海道に戻って普通に学校行って働いて大人になって。
そこにお前は必要ない。
だから、早く。

「この世は僕の物になったのに、思い通りにならないものがひとつある」
ハオの声が近づいてきた。
止めろ。それ以上寄るんじゃねぇ。
「ねぇ、なんだと思う?」
知らない。聞きたくない。来るな。
来るな来るな来るな。
「君の気持ちさ」
温かい腕がふわっと体を包んだ。
オレはハオに背後から抱きしめられたまま、動くことができなかった。
体に触れる感触は確かにあるのに、それはひどくあやふやな存在だ。
きっと手で触れることの叶わない存在。それをわかっていながらオレは、思わずその腕を掴んでしまった。
そして、できなかった。
オレの手はハオの腕をすり抜けて自分の胸を掴んだ。
とてつもない虚しさが襲った。けれど同時に、安堵も感じた。
やっぱりそうだ。もうこいつは人間じゃない。
直に触れることもできない。
「何を考えてるの?僕と会えて嬉しくない?」
「嬉しくない。とっとと消えろ」
「酷いな。僕は凄く君に会いたかったっていうのに」
「オレは会いたくなかった。だって、お前は」
「僕は生きているよ。世界と一体になってね」
「そんなの・・・」
「だったら君も来いよ。そうすれば一緒にいられる」
「誰が、お前なんかと」
「言うと思った」
「わかってんならもう二度と来んな」
「そういう訳にはいかない。僕は君に会いたいんだ」
「それ以上言うな」
「ねぇ、こっち向いてよ」
「言うな」
「僕の目を見て」
「言うなよ」
「・・・君の、顔が見たい」
「言うなってば!」
ホロホロはハオの腕を振り払い駆け出した。
もう堪えきれない。限界だ。
これ以上一緒にいたら、オレは。
「待って!」
あいつの呼ぶ声も捨ててしまわなきゃ。オレはいつまで経っても前に進めやしないんだ。
だから誰か、教えてくれ。
この感情に区切りをつける方法を。


「君が好きだ」


ハオのその言葉は、ホロホロを立ち止まらせるには充分だった。
「これが、君が望んでいた答えだろう?」
あの夜から、ずっと。
心の奥底が焦がれるように熱い。こんな感情は知らない。
こんな、自分がわからなくなるような感情は。
ホロホロは吸い寄せられるようにゆっくりと振り向いた。
「やっと、会えた」
ハオが穏やかに笑っていた。










2人は緑の上に腰を下ろし並んで座っていた。
あれからホロホロはハオを見ようとしない。促されるままに隣に座りはしたが、そこまでだった。
「そういえば、あの夜もこんな風に星を見ていたね」
あそこはこんなに澄んだ空ではなかったけれど。
そう言うとホロホロは素直に空を見上げた。
暫くそのまま夜空を見つめていた。会話はないが、不思議と気まずいとは思わなかった。
「・・・なんで来た」
ホロホロが重い口を開いた。その視線は空に向かったままだ。
「言っただろう、君に会いたかったから」
「会ったってしょうがないだろ」
「どうして?君に、触れないから?」
「!」
図星のようで、一瞬で顔が赤くなった。
ハオはくすりと笑ってホロホロの顔を覗き込む。
「可愛いことも言えるんじゃないか」
「ばっ!ちが!・・・・・・・・だって・・・思い知らされるだろ。オレとお前はもう、違う存在なんだって」
「そんなこと気にしなくていいのに」
「するよ、そりゃ・・・あんなこと、してたら・・・」
もごもごと聞き取りにくい声でホロホロは呟く。
ハオは意地の悪い笑みをその顔に浮かべてホロホロの耳元に口を寄せた。
「つまり、君は僕と触れ合いたかったんだ?」
途端にホロホロは耳から顔からなにもかも真っ赤にして飛びずさった。
「ちがっ!!誰が好きこのんでお前なんかとっ」
それをハオはいかにも楽しそうに見ていた。
「へぇ?あんなに善い顔でヨガってたのに?」
「よよよ、よがってねぇ!大体あれは、いつもお前が無理矢理・・・っ」
ホロホロは頭を抱えてその場に蹲った。ううう、と神妙な声で唸っている。
「確かに?僕らは2人きりで会えば必ずそういう行為に及んだけど」
事実だけを述べると、ホロホロが一瞬傷ついた顔をした。
そんな顔をするなよ。いじめたくなるだろう?
「嫌なら無防備に出歩かなければよかった。しかも君はご丁寧に持霊まで置いてきて。更に僕だって君と会う時は持霊を連れていなかった。だから、本気で抵抗しようと思えばいくらでもできただろ?なのに君はしなかった」
「それは・・・・・、」
ホロホロは言葉を詰まらせた。頭を抱えていた腕を下ろし、再び空を見つめる。あの夜の事を思い出しているようだった。
「・・・オレは、知りたかったんだ・・・・・・・お前の真意を」
「そんなもの、ないよ。僕は君と一緒に」
「お前にとってオレは都合のいい相手なんだと思ってた」
「!そんな」
「だったらオレも乗ってやろうと思った。お前に近づくことでお前の考えを探ってやろう、って・・・・・結局、なにもわからなかったけど」
「そうかい」
「なんでお前がこんなことするのかってそればかり考えてた。なんでオレなんだろう。なんで・・・なんでオレは、夜の散歩をやめられなかったんだろう」
「その答えは、さっき言っただろう」
気づけばハオがすぐ近くまで来ていた。
至近距離で見つめられて、その視線は凍てついたように外せない。ハオは微笑を絶やさぬまま、目を細めてホロホロを射抜いた。
「確かめてみるかい?」
そう囁いてハオはホロホロの肩を掴むと仰向けに転がした。
流れるような一瞬の出来事にホロホロは目を瞬かせる。
見えない力に動かされるような感覚に、ホロホロは身震いした。
月明かりだけが静かに2人を見守っていた。



ゆるゆると昇りつめる感覚に目を背けることはもうできなかった。
吐き出すため息は甘い色を含んでいて羞恥がホロホロを襲う。
「ほら、やっぱり」
ハオが肌蹴た服から覗く肌の部分に触れる度に、ぴりぴりと震えが走った。
「君は抵抗しない」
妖艶とも取れるハオの笑みはぞくりと背筋を抜けるものがある。
ホロホロは反論しようにも既に力が入らず、ただ己の上に被さるハオの肩を弱々しく押すだけにとどまった。
「だって・・・おかしいだろ、なんで、お前オレに・・・」
「触れるか、って?」
「・・・・・・っ・・・」
今のハオは霊体のはずだ。触れることは愚か、こんな行為に意味はないはずだった。
けれど確かに感じるものは生きてる肌の感触と温度。熱った自分の体に負けず劣らずその掌は温かかった。
そもそも押し倒してきた時点でおかしかったのだ。
なんでこいつはここに存在しているんだ。なんでこいつはオレに触れられるんだ。
「不思議かい?」
ハオの思い通りになることは少し癪だが、頷くしかなかった。
「僕が神だからだよ」
それは答えになっていない。
ホロホロは釈然としないまま、また新たに与えられた熱に翻弄される。
もうまともな思考を紡げそうになかった。
「全ては君を想う一心さ」
歯の浮くような台詞をハオが述べる。
いつもならば冷たい視線を送るところだが、それも今は睦言にしかならない。
ホロホロは深く息を吐いた。
最初は必死に快楽を追いやろうとしていたこの体も、今では融けきって少しも使い物にならない。既に諦めの境地だ。
あの夜のようにこの身を全て委ねてしまえば、もう恐れることはない。
「・・・っ・・・・・」
いっそ思考も飛んでしまうくらい翻弄してくれたらいいのに。
今日のハオは穏やかな手つきで愛撫するだけでそれ以上進もうとはしなかった。
「どうしたの?」
わかっているくせにわざわざ尋ねるのはこいつの常套手段だ。にこりと笑う黒髪が憎らしい。
その長い髪が敏感になった素肌を撫ぜる度に総毛だった。
「ねぇ、ホロホロ」
ゆるやかな声。甘く気だるい空気が2人のいる空間を包んだ。
「僕と再び触れ合うことができて、嬉しいかい?」
「っ・・・んな、わけ・・・・・」
「僕は、二度と君に触れられないのかと思うと、ちょっぴり未練が残ったよ」
けれど結局肉体を捨てることを選んだ。その身分で、よく言う。白々しい。
ホロホロは段々と腹が立ってきた。
こいつはいつもそうだ。人の気持ちも無視して勝手なことばかり。終いにはいつもこれだ。流されるオレもオレだが。
今日は、いつものようにはいかない。そう知らしめてやらなければ。
「・・・ちょっぴり、か」
「ん?」
「ちょっぴり、程度で、こんなこと、すんな!」
ホロホロはハオの手を押し退け起き上がった。
ハオは少し唖然とした表情を浮かべている。ホロホロはキッと鋭い目でハオを見て言い放った。
「もう来んなよ」
こんな寝物語はもうたくさんだ。
たとえ今目の前にいる体が本物だとしても、奴は一度肉体を捨てたのだ。以前のようにいくはずがない。
いや、寧ろ以前の関係を終わらせなければならない。
それこそ奴は永遠のような存在で、自分はただの人間なのだから。
「僕がもう人の心を読めなくても、君が何を考えているのか、わかるよ」
どきりとした。
「そう、君がそう言うのなら、仕方ない」
ハオは伏せ目がちな表情を見せた。それは哀しみのような嘲笑のような。
オレはこの関係を終わらせようとしている。それをわかった上でそんな表情、承諾してくれるのかと。
願ったりのはずなのに、胸に走るのは小さな痛み。ちくちく、それはじわじわと。
「僕は・・・・・」
思わず目を瞑った。
複雑なものが絡み合って体の中を渦巻いている。
おかしい。これはなんだ。わからない。
なんで、こんなにも苦しいんだ。
「僕は、それでも君といたい。どうしても」
何かが弾けた気がした。
ホロホロは目を丸くして声も出せずにいる。
「これは僕の我儘だよ、ホロホロ。この肉体を取り戻したとき僕は、一番に君に会いたいと思った」
ふわりと、ホロホロの体を温かいものが包む。気付けばハオに抱き締められていた。
震える手足が竦んだ。振り払いたくても、体はびくとも動かない。

―――いや、本当は振り払いたいんじゃ、ない。

「・・・・・っ、そんな、冗談・・・」
「冗談じゃない。僕はいつでも本気さ」
「オレは、お前を・・・」
「ん?」
自分が今どんな表情をしているのかわからない。
ただ頭の中がぐちゃぐちゃになって、わけわかんなくて。


それでも嫌じゃなかった。自分を包み込むこの温もりが。
自分を手放さないこの腕が。




「・・・っ、オレは、お前なんか嫌いだ」
嘘だ。そんなに嫌いじゃない。
「相変わらず素直じゃないね、君は」
震える両手は確かな温度を抱き締めた。
お互いの体温は驚くほど心地好かった。











end






私の中での基本的なハオホロです。2人ともドライと見せかけて・・・っていう。
いや、ハオはきっといつだって本気だけどね!ホロが信じないだけ。
多分ハオ様は十祭司に自分の肉体を治癒させて保管させたんじゃないかな。この設定はこの話限定ですが。


091225