正反対な、ふたり

 

 

初夏の風が教室の窓を抜けていく。
外は雲ひとつない晴天で、こんな日にひなたぼっこしたら最高に気持いいだろうな、と甘い誘惑がオレを襲った。
「あー・・・・・くそっ」
しかしそれの叶わない今の状況に、盛大に溜め息を吐いた。

数学なんて嫌いだ。何よりも、嫌いだ。
今まで最高得点25点しか取ったことねぇし先公の話はなにかの呪文みたいだしその先生は最高に変態だし。
とにかく数学の授業を受けたくなくて、よくフケて屋上で昼寝してた。
そのツケが今、回ってきている。
『君はよく私の授業を休んでいるようだから、特別に課題を作っておいたよ。
今日の放課後までに提出しないと君の単位が危ないかもしれないね。
まぁ頑張りたまえ。なぁに心配することはない。寝ながらでもできる簡単な問題ばかりだからな』
なにが"簡単な問題"だ!こんなの、教科書見ても載ってねぇじゃねえかっ。(教科書は10秒見たら眠くなってきてしまったのですぐ閉じた)
しかも単位の話を出されては逃げるという選択肢は消え去ってしまう。
変態数学教師に殺意を覚えながら、窓の外へ目を遣った。
グラウンドでは多くの生徒たちが部活に励んでいる。
とにかく早くこの課題を終わらせなければ、部活に行くこともできやしない。
ああ羨ましい。
ホロホロは今にも落ちそうな瞼と必死に戦いながら、机の上に突っ伏した。



突然ガラリと教室のドアが開き、ホロホロは入口に視線を向けた。
特徴的なそのトンガリ頭は、まさしく。
「・・・貴様がいつまでも教室に残っているなど珍しいな」
噂の転校生、蓮だ。
蓮は窓際に座るホロホロの姿に一瞥をくれると、フン、と鼻で笑った。
顎を机の上に乗せ、両手はだらんと下がっている。おまけに椅子を限界まで後ろに追いやり足を大きく広げた状態でかろうじて座っていた。
よくそんな体勢でいられるものだ、と蓮は思ったが口には出さない。
「なんだよ、うっせーな。あっちいけよ」
「貴様の指図は受けん」
蓮はスタスタとホロホロの隣にある自分の席まで来ると、机の中身を調べ出す。
忘れ物でもしたと思うのが普通だろう。

この不遜な態度の男―――道 蓮は、転校初日に披露したその類い稀なる頭脳を買われて生徒会に所属していた。
生徒会長はつい先日に決まってしまっていたので彼の役職は生徒会補佐というものだと聞いたが、既にその発言力は会長さえも上回っている、らしい。
つまり、すごく頭がいいってこと。
そうクラスメイトのまん太から教えられたときは特に興味を示すこともなかったのだが。
「お前が忘れ物するなんてことも珍しいと思うけどな」
先程の仕返しとばかりにニヤリと笑って言ってやる。
だらしない格好を改めて、ホロホロは机に頬杖をついて蓮を見ていた。
蓮はホロホロを見遣る。
そして机の上にある数字の羅列を見て、フッとほくそ笑んだ。
「なんだ貴様、テスト前だというのに早くも追試か?優しい教師もいるもんだな」
蓮の人を小馬鹿にしたような態度を受けたホロホロはカチンときて立ち上がる。
「好きでこんなもんやってんじゃねーよ!」
「日頃の行いが悪いからそういうことになったんだろう。自業自得だ」
「ぐっ・・・・・」
何も言い返せねぇ。
この男は頭もいい上に、口も最高に上手かった。
蓮の言葉に早くも一刀両断されたホロホロはバタリと机に沈んだ。
「オレに・・・こんな問題できるはずねぇんだよ・・・先公の野郎め・・・っ」
そしてぶつぶつと怨念のようなものを吐き出し始める。
蓮は徐にその数学のプリントを1枚取って見た。
一通り目を通した後、僅かに眉根を寄せる。そして軽く溜め息を吐いた。
「・・・・・オレにはこんなもの朝飯前だが、確かに貴様には難しいのだろうな」
今習っている範囲より遥かに先の問題だった。
ろくに授業を受けてもいないこいつが頭を抱えるのも当然のことだろう。否、おそらくこのクラスのオレを除く誰もが似たような反応をするだろう。
蓮はプリントをホロホロの机に戻した。
陰湿なことをするものだ、あの変態教師も・・・
優等生の蓮がこのプリントについて一声進言すればすぐに取り替えさせることは可能だろうが、生憎そんなことをしてやるほどお人好しではない。
けれど、ほんの少しこいつを憐れに思う心なら、持ち合わせていた。

蓮は自分の椅子を引き、鞄を机の上に置いて座った。足を組み、腕組みまですると、目を閉じて静かに呟いた。
「・・・・・χ=6、それを当て嵌めて計算しろ」
机にともすれば涙の池を作ってしまいそうになっていたホロホロは、自分の耳を疑った。
閉じていた目を見開き、口をぽかんと開けたままゆっくりと隣に座る蓮を見る。
目を閉じていた蓮が、視線だけをホロホロに寄越して言った。
「二度は言わん。心して聞け」
鋭いその目付きにホロホロはおっかなびっくり返事をする。
そして机に転がっていた鉛筆を慌てて手に取った。
「えっと・・・えっくす?を、6?って言ったか?えーと、えーと・・・」
「・・・・・」
「・・・すまん、蓮。当て嵌めるって、どうやって?」
「そこからか!」
それまで微動だにしなかった蓮がホロホロを怒鳴りつけた。そのとき僅かに頭のトンガリが延びたのは気のせいだろうか。
ホロホロはびくっと肩を震わせて、精一杯苦笑いした。
「へ、へへ・・・だからすまん、って」
「貴様はもう少しまともに授業を受けろ」
「だってさーあの先公の話聞いてるとすぐ眠くなっちまうし・・・」
「単位が危ないとなればきちんと受ける気にもなろう」
「げっなんで知ってんだ」
「大体の予想はつく」
「うへー、さすが優等生サマ・・・」
「馬鹿でもわかる、そんなこと」
「言ってくれんじゃねぇか・・・」
ホロホロは持ち上げた口角と鉛筆を握った手をぴくぴくと震わせるが、それ以上は反抗できなかった。
今蓮の機嫌を損ねたら、真剣に単位が危ない。
こみあげる怒りを抑えてなんとか机に向かった。

「・・・第一、何故この時代にプリントなんだ。あの教師は全てデータ反映で授業をしていたはずだが」
「オレが初回の授業のとき、ノートとこの鉛筆使って暇潰ししてんの見られちまったんだよ。
で、腹いせか嫌味か知んねぇけどわざわざこんなプリントまで作って、手書きでしかも手渡しで提出しろとか吐かしやがって・・・」
「それも自業自得か。フン、いい勉強になったじゃないか。あの教師のスタンスを知ることができた」
「知りたくなかったし!」
「ごちゃごちゃ言ってないで早く手を動かせ。このままだと確実に日が暮れるぞ」
「お前が聞いてきたんだろーがっ!」

こうして、蓮による数学の授業が始まった。





暮れていく夕陽を横目で眺めながら、ホロホロは思った。

こいつに教えてもらえるんなら、授業サボってもいいかも。

なんて、そんなこと口が裂けても言えないけど。










本当は忘れ物などなかった。
生徒会の仕事を終え、帰宅しようとしていたところでふと見上げた自分の教室の窓に、空色の影を見つけた。
部活も始まり教室に残っている者など稀だ。
そのまま帰ってもよかったのだが、一度見つけてしまうとなんとなく気が収まらず。
気づけば校舎に舞い戻っていた。

教室のドアを開けたその先に、ひとりぽつんと存在する空色があった。
その光景に僅かな既視感を覚えた気がしたが、それはすぐに消えていった。

隣の席の空色―――ホロホロとまともに会話したのは、これが始めてのことだった。










end






森羅学園中等部第2学年な彼ら。
シリーズ化、できるといいなぁ。


090622